三大装飾経|平安貴族の華を映しだす三つの写経

三大装飾経 久能寺経・平家納経・慈光寺経

写経というと寺僧が厳かに書写するイメージが強いかと思いますが、世に残る写経のなかには武士や貴族といった当時の上位階級の身分の人物が書き残したものも存在します。

「三大装飾経」はその最たるもの。一時代を築いた文化が遺した煌びやかな書を覗いてみましょう。

目次

三大装飾経とは

三大装飾経とは、「久能寺経」「平家納経」「慈光寺経」3つの装飾経を指します。

装飾経の文化が隆盛したのは平安時代後期〜鎌倉時代初期。その中でも最も優れているとされる3点を「三大装飾経」と呼びます。一部が抜け落ちている書もありますが全て現存しており、東京国立博物館をはじめとした各地の博物館・寺社で見ることができます。

2023年には3点が全て揃う特別展やまと絵―受け継がれる王朝の美―が東京国立博物館で開催されたことでも話題になりました。

そもそも装飾経とは?

金箔や図画などの装飾を施した料紙を使って書かれた写経のことを装飾経と呼びます。もとは中国・唐の写経装飾を模倣して作られたのがはじまりでした。

本来、写経は仏典を誤りなく書写して人々に経典の思想を伝えるのが目的です。そのため装飾のない素紙に法華経を書き記すのが一般的ですが、装飾経は通常の写経とは違い、さまざまな箇所に貴族文化の美意識を詰め込んだ華やかな装飾が施されているのが特徴です。

装飾経の文化を育んだのは平安時代・京の貴族たち。仏教思想が広く普及し、宮廷貴族のあいだで法華経の書写が流行しました。法華経の加護を求めて多くの人々が写経を書き残したと言われています。

装飾経の文化は東アジア各地で見られますが、金銀に彩られた華やかな装飾の美を極める発展がみられたのは日本のみです。

結縁経と一品経

当時、貴族たちによって仏との縁を結びつけるために多数の人々で分担して書く「結縁経(けちえんぎょう)」が作られました。三大装飾経は全て結縁経に類される作品です。

また、一品経(いっぽんきょう)の形式を取っているのも特徴的です。一品経は法華経の経典計30巻(巻数は形式によって異なる)を1人ずつ分担して供養する結縁経のこと。多くの貴族が結託して写経の制作に携わっていたことが伺えます。

装飾経の制作に際しては、貴族当人のみならず能書家に代筆を依頼することもあったようです。

装飾経と女性

3つの装飾経に共通する特徴は「女性が制作に携わっている」という点です。

平安時代以降、女性が書く文字として仮名が開発されて漢字で書をしたためるのは男性の文化になっていきました。また仏教思想は基本的に女性の成仏を認めないため、女性が写経を書き残す例は男性と比べると稀です。

しかし法華経信仰においては女性の成仏が可能だったことから、貴族の女性にも篤く信じられていました。そのため、経典の制作は女性が中心となっていることも多く、女房が直接書き残したとされる経典も現存しています。

三大装飾経① 久能寺経(くのうじきょう)

静岡県の久能寺(現:鉄舟寺)に伝わる写経であることからその名がつきました。12世紀の作品で、一品経としては現存する最古の作品です。

全30巻のうち現在でも残っているのは26巻で、国宝・重要文化財に指定されています。

安楽行品

「法華経安楽行品巻第十四久能寺経」

引用:国立文化財機構所蔵品統合検索システム

所蔵:東京国立博物館

天地に金銀泥で描いた蓮や唐草の文様が散らされているのが特徴です。

それぞれの書の違いを見たければ、冒頭に共通する「妙法蓮華経」の字を比べてみると良いでしょう。

巻末の奥書には「待賢門院女房中納言殿」と記されていますが、代筆か本人の筆書かは不明です。どちらにせよ、久能寺経の中でも相当の能書家によって書かれた優美な行書体だと言えるでしょう。

曲線、丸みを強調する大胆な筆運びではありますが、謹厳なオーラも感じられる作品です。

三大装飾経②平家納経(へいけのうきょう)

平家納経はかの有名な平清盛が平家の繁栄を願って厳島神社に奉納したとされる装飾経です。現在でもその全てが厳島神社の宝物庫に所蔵されています。

清盛が記したとされる願文には「尽善尽美(善を尽くし、美を尽くす)」とあり、平安末期の意匠を最大限に尽くした作品であることが伺えます。実際、平家納経に勝る装飾の豪華さを持つ装飾経はないでしょう。

また全33巻の写経それぞれを能書に長けた結縁者が制作したとされており、栄華を極めた平家の権力の強さを示しています。

平家納経と本阿弥光悦

江戸時代初期、稀代の能書家としても知られる本阿弥光悦は平家納経の修理を依頼され、当時無名の絵師だった俵屋宗達を採用しました。

平家納経の修復に携わった経験がのちに俵屋宗達を中心に始まった琳派誕生の契機になったと言われています。

普門品

作品はこちらから→https://growing-art.mainichi.co.jp/shonotanoshimi_20230716/

所蔵:厳島神社

鬼に追われ、白馬で逃げる2人の童を描いた見返し絵の鮮やかな緑が印象的な巻。画面下には仮名が遊戯的な表現の金泥で描かれています。料紙装飾に用いられる「葦手(あしで)」と呼ばれる手法です。

やや右肩上がりでスピード感のあるリズミカルな書風が特徴。他の経と比較すると字間が狭く、右肩上がりの行書体であることが分かります。久能寺経の安楽行品が「典型的な平安貴族書体の理想形」に近いものだとすると、こちらはもっと個性的な字体です。

詳しい制作時期は諸説ありますが、久能寺経と平家納経の間にはおよそ100年前後の空白があり、貴族に流行した写経の書風が次第に変化していったことが分かります。

また、筆を少し右傾させた独特な側筆は写経の一書風として一世を風靡した藤原定信の“定信様”に近いでしょう。近年の研究では、普門品巻は定信の息子である伊行(世尊寺流の能書家)によるものとするのが一般的です。

三大装飾経③慈光寺経(じこうじきょう)

鎌倉時代初頭(13世紀)に作られた、三大装飾経の中ではもっとも新しい作品です。

埼玉県比企山の慈光寺に伝わったことからその名がつきました。

慈光寺経の特徴は書風の多様性。今回ご紹介する「宝塔品」は鎌倉時代らしい強く粘り強い書風ですが、他の巻は違う人物によって書かれた作品。中には平安時代を想起させる優美な書風のものも混在していました。

後期の作品ならではの引き出しの多さを一つの一品経から感じることができます。

宝塔品

引用:ときがわ町生涯学習課HP

所蔵:慈光寺(現在は東京国立博物館に寄託)

慈光寺経の中でも特徴的な書体。したたかさを感じさせる鎌倉初期特有の書風で、転折に丸みがあるのもポイントです。側筆気味なのは平家納経と同じですが、こちらの方が淡々と粘りのある筆調です。

  • URLをコピーしました!
目次